Das Prinzip Anerkennung #
HOHE LUFT » Das Prinzip Anerkennung , 18.07.2014.
雑誌『HOHE LUFT』に掲載されたインタビュー。上記のリンク先ページにインタビュー全体のPDFファイルへのリンクがはられている。主たるテーマは「資本主義批判」と承認概念。
資本主義の批判 #
ホネットによれば、1920年代・30年代においては、マルクスの資本主義分析の正しさが前提となっており、資本主義を批判することはとくに理論的正当化を必要とされなかった。これに対し、今日では、資本主義批判の根拠には様々な考え方があり、議論の余地があるとされる。この点に関し、ホネットは、資本主義批判の3つの選択肢として、機能主義的批判(経済的危機の問題)、倫理的批判(ライフスタイルの問題)、道徳的批判(近代的な正義原理の問題)を挙げている。ただし、この3つは、従来から適切に区別されてこなかった。現在では、ネオリベラリズムの影響のもと、ドイツにおいても、労働の強度のフレキシブル化とそれによる新しい貧困が問題となっており、それゆえ、資本主義批判はあらためて大きなテーマとなっている。
資本主義なしの市場経済は存在するのかと問われ、ホネットは「イエス」と答える。市場経済と資本主義的な市場経済とを区別することは重要であり、それにより、資本主義のネガティブな効果をともなわない別の形式の市場について考えることができる。ホネットによれば、アダム・スミスを想起するなら、市場経済は一つの「媒介機関」であり、この「媒介機関」によって個人的自己中心的利害の組織が価格によりコントロールされる。そうした市場経済は、生産手段の所有という異なる別の制度が結びつくことで資本主義的なものになると捉えられ、そこから生み出されるダイナミズムが、(学校や病院といった)公共財の圏域の市場化というネオリベラリズムで起こっている事態にもつながっているとされる。
マルクスにおいては市場の「克服」が問題であったのに対しあなたは市場を「取り囲む」ことを語っているが、それは資本主義批判がより控えめになったということかと問われ、ホネットは、変化したのは中央集権的な計画経済の断念という点であると答えている。市場か計画かの二者択一はいまでは無効になったとされ、近代社会が市場なしでやっていくことはできない。むしろ、経済活動をコントロールする新しい形式を熟考する必要がある。そのさい、伝統的な史的唯物論とは異なり、歴史の経過をもっと「実験的な試み(Experiment)」と考えないといけないとホネットはいう。歴史の次の段階が現在すでに決定しているとはもはや信じず、しかし、さまざまな可能性が現在に含まれていると捉え、そして、そうした可能性の何が実現するかは私たちの活動と介入にかかっているということ。
経済学と哲学の関係についても少しふれている。ホネット自身は経済学より哲学と社会学から多くのものを得ているという。実際、ホネットは1969年に大学に進学しているが、「35年前に大学の勉強で逃したもの」=「経済学」を(努力してはいるが)取り戻すことはできていないと率直に述べている。当時の時代背景として、「1968年」以後、経済学を勉強することに誰が魅力を感じただろうかとも言っている。
承認論 #
承認論の背景と展開 #
承認論に至った経緯を聞かれて、ホネットは、社会的コンフリクトの従来の捉え方が不十分であったことに言及している。当時、フランクフルト学派では社会的コンフリクトは生じていないかのようにされており、その一方で、マルクス主義では社会的コンフリクトは利害のコンフリクトと理解されていた。両者は現実の社会を適切に捉えていないとホネットは考えた。また、(ホネットがその影響を受けている)ハーバーマスの社会理論についても、社会的コンフリクトの次元を十分に明確にできてないと述べている。
「日常生活の観察と文学」とからホネットが認識していたのは、社会的コンフリクトは、軽視を感じることにかかわっており、自尊心にかかわっており、適切に尊重されいないことへの怒りにかかわっていることだったという。具体的に挙げられているのは、ホネットが学校の生徒として観劇したアーサー・ミラー『セールスマンの死』。そこでは失業は辱めとして描かれており、社会の目からみて何の価値も持たないことを意味していた。ホネットはこうした感情のあり方を、(自身が育った)ルール地方の鉱山労働者の子弟であった自分の友人たちにも見てとっていた。こうしたことが、ホネットが大学で勉学に取り組んだとき、心のなかを占めていた「出発点」であったという。そこから生まれたのが、社会的コンフリクトの本質をあらためて捉え直すという着想であり、これが『承認をめぐる闘争』の出発点であった。
『承認をめぐる闘争』における承認の3つの形式の区別は以後も維持されるが、当初、ホネットはこの3つの形式を、すべての社会に常に当てはまる「人間学的な不変量」と理解していた。しかし、そうした考え方はすぐに放棄され、近代社会においてはじめて、諸承認圏域が分出し3つの形式が成立したと捉えられるようになった。このように承認を歴史的に捉えることに関連し、正義論についても、歴史と無関係に構想するのは誤りとホネットは言う。
承認と主体性について。相互承認のなかでは主体性が消えてしまうという非難は間違いであるとホネットは言う。むしろ逆で、安定した承認関係にしっかりと包み込まれることによって、より主体性を発揮することができるようになる。
フレイザーの異論 #
ナンシー・フレイザーからの異論については、まず、正義の本質は承認概念を用いることによってのみ適切に捉えることができるとホネットは言う。フレイザーは承認をアイデンティティ・ポリティクスないし文化的承認の意味で捉えがちだが、そもそも承認は社会の統合の「素材(Stoff)」であり、社会は承認関係によって構成されている。社会について語ることは相互承認の形式について語ることであり、だから、再分配と承認を対立させることはできず、再分配は特定の形式の承認から生み出されるものである。
社会において承認を得ていないということは、その社会から追放ないし差別されていることとされる。「ナチスドイツにおけるユダヤ人は、その承認形式のすべてを徐々に剥奪されていき、その結果、最終的にはむき出しの犠牲者として強制収容所において扱われた」。
文化的相対主義 #
ホネットは、自分の分析が「西欧の法治国家社会」に向けたものと言う。つまり、ホネットの分析は、西欧社会における特定の生活形式(家族や友情や公民実践の特定の形式)を適切なものとして記述せざるをえず、また、それら特定の生活形式が「本来的なものと考えられる自由の実現」と理解されるに値するとしており、そのかぎりで「党派的」である。したがって、ホネットの分析は、「何が良い生き方かについての異なる文化的表象とコンフリクトに陥る」。
正義と承認を結びつける一方で承認が文化相対的だとすれば、それは社会正義について一種の相対主義者になる危険があるのではないかと問われて、ホネットは、相対主義の危険は自覚していると述べる。そのうえで、扱いの難しい点ではあるが「進歩(Fortschritt)」のパースペクティブをとることでこの危険を避けることができるとする。「相対主義の危険を逃れるために、私は、一定の方向性をもつ進歩の可能性の想定を放棄することができない」。つまりは、近代社会にいたることで定着した承認原理はそれ以前の承認原理に対して「進歩」であり、また(家族においてであれ公共圏においてであれ)承認原理が実践されるやり方は、いま現在の方が19世紀よりも優れているということ。
生活形式の批判 #
生活形式の批判の可能性を問われて、ホネットは、社会診断は正義論だけでなく「病理診断」によって補われる必要があるとする。そのさい、「病理診断」、つまり「誤った生活形式の診断」における批判は、正義原理に反しているからではなく、「よき生(gutes Leben)」の諸条件に反していることに基づくとされる。
この点に関連して、『自由の権利』(2011)では、ある社会的圏域が病理的な形式をとるのは、その社会的圏域が間違った承認原理のもとに解釈される場合か、特定の承認原理が拡張傾向を示す場合であるとされた。病理の具体例としては、みずからの社会関係のすべてを、法のカテゴリーや道徳のカテゴリーでのみ把握する主体が挙げられる。
ホネットは、生活形式の批判に「否定主義的(negativistisch)」にかかわっているという。つまり、誤った生活形式から出発するのであって、生活形式の批判を可能にする原理を直接に明らかにするというやり方ではない。
その他、(ヘーゲル哲学を例として)理性に対し党派的である哲学の役割について、ロールズの言う基本財としての承認(自己尊敬)について、亡命者の法的承認としての庇護条項について、など。