Paradoxien der kapitalistischen Modernisierung – Axel Honneth im Gespräch #
in Philosophie und Religion - Philosophie und Ethik - Goethe-Institut, Februar 2011.
以前は Goethe-Institutのウエブサイトに当該ページがあったが、いまはリンク切れになっている。
短いインタビューであるが、前半では、「資本主義的近代化のパラドクス」と呼ばれるものの全体的な構図が述べられ、後半では、福祉国家と親密関係における変化について言及されている。
ホネットは、まず、過去数十年間の社会の規範的な主導理念は、たしかに引き続きアクチュアリティを保っているものの、しかし多くの場合に、新しい段階の資本主義の拡張をただ正当化するだけの概念に変わってしまい、そのため、解放に結びつくというその意義を失っていると指摘している。規範的進歩の多くは今日、新自由主義的な資本主義の圧力のもと社会の統合メカニズムとなることで、「脱連帯化し脱成人化する文化」という逆のものに転じてしまった。
この歴史的変化の出発点となるのは、第二次世界大戦後の20年間の時代である。ホネットによれば、当時、西側諸国では、国家的に規制された資本主義が形成され、社会政策や経済政策により福祉国家的調整が生み出された。このとき、一方における収入と自由時間の増大、他方における「ロマン主義的な生活理想」の広がりにより、自分のライフコースを、一定の職業役割と家族役割とを連続的に引き受けていく硬直的なプロセスとしてではなく、自分のパーソナリティを試行的に実現していく機会として解釈することが多くの人びとに可能となる。こうして「個人主義」は、自分にとってそのつど「ほんもの」と理解された実存形式を試すという理念、実験的な自己実現の理念へと高められた。これをホネットは「ロマン主義的な個人主義」と呼んでいる。
しかし、その後の数十年で、この「ロマン主義的な個人主義」は、資本主義の生産要因となり、また資本主義のイデオロギーとなっていく。「ロマン主義的な個人主義」では、労働は単なる義務ではなく、実験的な自己実現のステップと理解される。これを引き合いに出すことで、長期雇用の解消や労働者の権利の解体が正当化され、仕事や生活あるいは人生の全体に対しフレキシブルであることが求められていく。その結果、職場やそこでの同僚への深い結びつきを形成することが難しくなり、また、親密な関係をつくることにも負荷がかかり、これらの点で「脱連帯化」の傾向が進んでいく。
福祉国家の変化について、ホネットによれば、社会権は一部は容赦なく解体され、また一部は経済化された社会福祉に変わってしまうという。経済化されるというのは、つまり、社会福祉を利用できるかどうかは、助けを必要とする当のクライアントが物質的リソースを持っているかどうか次第となるわけである。加えて、福祉国家における請求資格の再道徳化と福祉国家的保護のパターナリズム化の2つの現象が見いだせる。前者については、つまり、福祉国家の給付を受けようとするなら、それへの反対給付を用意しなければならず、反対給付によってそもそもはじめて請求資格が与えられる。ここで言う反対給付とは、たとえば失業の場合なら、提供される仕事は何でも受け入れる用意があるということである。後者について、ホネットによれば、貧困に陥ったときに社会福祉を求める原則的権利が自己責任の要求によって掘り崩されてしまうところには、どこでもパターナリズムが忍び寄ってくるとされる。
最後に、親密な関係の変化が2つ言及されている。1つは、愛情のみに基づく「純粋な関係」をある程度は持続させるために、ほとんど名人芸的な巧みさで商品やサービスの消費が利用されるようになっており、その意味で消費合理性が愛の関係にも浸透してきていることである。もう1つは、親密な関係が長く続くかどうかは、自分の仕事上のキャリアのいろいろな変化の可能性とそれが両立しうるかどうかという点から判断されるようになり、そのため、親密な関係にある個々人は経済合理性の観点から互いを吟味し合うようになっていることである。