Goethe-Universität — Forschung Frankfurt | Ausgaben-Archiv 2012

 フランクフルト大学が刊行している『Forschung Frankfurt - das Wissenschaftsmagazin』に掲載された対談。上記リンク先ページからPDFファイルへのリンクがはられている。対談の相手は Morten Raffnsøe-Møller、司会は Bernd Frye 。2011年に刊行されたホネットの『自由の権利』がテーマ。ポイントごとに簡単にふれている印象。

規範的再構成

 ホネットが「規範的再構成」と呼ぶ方法論について司会のFryeが用いた「採掘(schürfen)」という表現を、ホネットは悪くないと述べている。ホネットが探究したのは「制度化された規範的諸原理」である。それらの諸原理は、それらによって調整される一定の実践方法(Praktiken)の形態で、私たちが社会の内部ですでに社会的正義の指示にかかわっていることを指し示しているという。こんにち支配的な正義論は、いわば机の上で正義の原理を問うているのだが、これに対し、ホネットは、現実の社会のなかですでに作用している正義の諸原理を「採掘」しようとしている。

 Fryeは、その「採掘」は3つの圏域で行われているとし、パーソナルな関係の圏域、市場経済行為の圏域、民主的意志形成の圏域を挙げている。また、それぞれの「進歩」と「病理」の両面をホネットは論及しているとされる。

パーソナルな関係の圏域

 パーソナルな関係(友情・親密関係・家族)の現状について、ホネットは、社会経済的な諸条件と文化的な諸条件の2つの観点からふれている。社会経済的な諸条件については、収入の増大や女性の経済的自由など、この200年間でかなり改善してきたとされ、また文化的な諸条件については、男女間の友情や同性愛など従来の多くのタブーがなくなった点で「進歩」であるとされる。

 家族とその「進歩」が重要である理由を問われて、ホネットは、家族は民主政の非常に重要な要素の一つであると言う。家族のなかで、基本的なものの考え方が身に付き、民主的実践のすべてがすでに行われる。「ヘーゲルの精神において次のように言えるでしょう。すなわち、内部が民主化された家族は、近代の民主政がその市民たちに求める習慣と能力すべての重要な形成力であると」。この点で、ホネットによれば、家族の人間関係は以前より相当に改善したという。たとえば、子育てへの父親の参加や、家族内の男女の対等化、子どもが会話の相手として尊重されることなどである。これらは、「民主的人倫の一つの要素」の形成の意味で家族のあり方をよりよくした。その一方で、ホネットによれは、今日、経済情勢は、動員とフレキシブル化の非常に大きな圧力を家族にかけており、家族における上記のような自由の実践を掘り崩しているという。

 Fryeによれば、家族に関するホネットの議論は批判も呼んでいる。つまり、美化しすぎではないか、たとえば離婚率の増大についても、離婚する親の子どもにとってはどうなのかと論評されている。

 ホネットは、結婚や家族への規範的な要求がこの間により大きくなったとする。つまり、従来とは違い今日では、結婚や離婚にさいし間違った決定に「ノー」と言うことができるようになった。離婚後の子どもについては、親たちが離婚後も協力し合うかどうか、子どもにとって重要なペアであろうとするかどうかに左右されるが、統計の数字からして、この2、30年の間に、離婚後も子育てに共同でかかわろうとするかまえは非常に高まっているという。

市場経済行為の圏域

 資本主義的な市場経済の現状については、それが国家的な調整を十分にされずに放置され解放されているがゆえにミゼラブルであるとホネットは言う。これに関し、一部のマルクス主義者は、市場経済がこの200年の間、基本的に変化しておらず、資本のもとへの包摂という唯一の法則の貫徹と捉える傾向があるとされる。

 しかし、ホネットはこれを誤りとする。たとえば社会政策や被雇用者の共同決定や労働組合など、この200年の間に市場経済の内部で改善が進められてきたからであり、ホネットによれば、それらは「市場の漸進的なゲマインシャフト化のプロセス」を意味している。「このプロセスに典型的だったのは、個人の参加者が集合的な行為者を共同してつくり出し、そして、もちろん、自分の利害パースペクティブを手放すわけではないが、それでもしかし、他のすべての関与者の利害をもっとしっかり考慮して、その自分の利害パースペクティブを定式化しなければならなかった、ということである」。

 資本主義的の内在的な規範的基盤(労働と交換と消費とを通じてのすべての関与者の参加と欲求充足とにたいする市場の約束)に賭けるということかとのFryeの問いかけに対し、ホネットは、自分の試みを、過去200年のこのプロセスから浮き彫りにした「ガイドライン(Leitninie)」を現在に対しても保持することであるとする。そうすることで明らかとなるのは、市場のさらなる「ゲマインシャフト化」のプロジェクトを追求する前に、まずは、現下の後退状況が取り戻されなければならないということである。そのさい、資本主義的な市場経済について、私たちが何の影響も及ぼすことができないシステムであり続けてきたと考えたり、外部からの革命的な変革だけを考えたりするのは誤りであるとしている。ホネットによれは、それは、現実化可能とは思えないし、たいして助けになるとも思えないし、政治的に有意義とも思えない。

民主的意志形成の圏域

 ホネットのみるところ、資本主義的な市場経済とのかかわりで、この数十年の間に国民国家はその主権を著しく失い、民主的公共圏のナショナルな枠組みはすり切れてきている。その一方で、活力ある公共圏なしに民主政はありえず、そして、活力ある公共圏は「社会的自由」の文化を糧としている。この「社会的自由」の文化について、ホネットは、アクティブに協力し合うことへの市民たちの動機づけがあることとも言っている。問われるのは、現段階でのそうした政治的文化であり、そのうえで、ポストナショナルな公共圏がどのようなものでありうるのか、である。

 これに関して、ホネットは、たとえば、国民国家的な公共圏を包括するクオリティ・ジャーナリズムのようなものがなければならないとする。そうしたジャーナリズムは、「異なる討議ゲマインシャフトのあいだでの議論を起こしうるであろう」。現状では、たとえばテレビニュースはナショナルなかたちで行われており、ドイツの人びとは、ヨーロッパの他の国々の出来事にまだあまり関心を持っていないし、他の国の人びともそうである。メディアへの圧力を強め、メディアがヨーロッパのフォーマットを獲得し、ヨーロッパ的な情報メディアをつくる必要があるとホネットは言う。

 また、Raffnsøe-Møllerは、共通のヨーロッパ的価値が政治的圏域のトランスナショナル化の資源であることに関するホネットの指摘に言及しており、これについて、ホネットは、その通りであるとする。歴史的に見るなら、一連の社会闘争は最初からヨーロッパ的次元を有しており、初めからすでにトランスナショナルであったのであり、ヨーロッパ的公共圏を生み出すことができていた。今日、必要なのは、この共通性にたいしもっとはるかに反省的に転換することであるとホネットは言う。「私たちは、共通の歴史を持ち、規範的な後退と道徳的な改善との共通の記憶を持っており、私たちに共有された自由の約束の実現をめぐる闘争での、敗北と勝利との共通の記憶を持っている。その点にチャンスがあるのだ」。