「序文」フレイザー/ホネット『再分配か承認か?』

Umverteilung oder Anerkennung? Eine politisch-philosophische Kontroverse.

Fraser, Nancy/Honneth, Axel, 2003, “Vorbemerkung,”Nancy Fraser/Axel Honneth, Umverteilung oder Anerkennung?, Frankfurt am Main: Suhrkamp Verlag, 7-11.

ナンシー・フレイザーとアクセル・ホネットの論争書の序文。二人の共同執筆となっている。

ちなみに、序文のあとのこの本の目次は次のとおり。

Nancy Fraser
Soziale Gerechtigkeit im Zeitalter der Identitaetspolitik:
Umvertielung, Anerkennung und Beteiligung
Axel Honneth
Umverteilung als Anerkennung:
Eine Erwiderung auf Nancy Fraser
Nancy Fraser
Anerkennung bis zur Unkenntlichkeit verzerrt:
Eine Erwiderung auf Axel Honneth
Axel Honneth
Die Pointe der Anerkennung:
Eine Entgegnung auf die Entgegnung

序文ではまず、「承認」ならびに「承認をめぐる闘争」の概念が、政治理論や道徳哲学において現在、重視されていることが指摘されている。こんにち、グローバル化した資本主義は、文化横断的な活動を増し、伝統的な解釈パターンを掘り崩し、価値地平を多元化し、アイデンティティと差異を政治問題とさせている。そうしたなか、承認の概念は、個人の自律が間主観的同意に依存することを説明しており、現在の多様なコンフリクトの道徳的重要性を捉えうるものとして用いられるようになっている。ところが、再分配の問題に対する承認の関係は、テーマ化されないままである。

一方、再分配の概念は、かつて資本主義のフォーディズムの時代において、政治哲学や社会闘争にとって中心的な意味を有していた。公正な分配のパラダイムは、戦後社会のリベラリズムにおいて体系的に発展し、また、当時の労働運動や社会運動の目的の定式化にもかなっていた。さらに、福祉国家において、さまざまなコンフリクトは資源の分配に関係づけられていた。ここでは、平等な分配こそが「公正」の意味するところであった。したがってまた、承認の問題に対する再分配の関係を再検討する必要は考えられていなかった。

しかし、承認と再分配の関係は、こんにち、まさに再検討を必要としているとされる。まず、9.11が明らかにしたとおり、宗教とナショナリティと性をめぐる諸闘争は互いに深く交差し合っており、承認の問いを無視することはもはや不可能である。その一方で、分配の不公正の問題が意味をなくしているわけではない。むしろ、新自由主義的なグローバル化のもと国民国家が弱体化するなかで、経済的不平等はこんにち拡大している。

したがって、現在の状況では、承認も再分配も、両者ともに無視されてはならない。むしろ、承認と再分配、両方のコンフリクト状況に取り組む必要があり、この承認と再分配の関係をあらためて考察することが求められる。これが、本書の課題とされる。

以上のとおり、ホネットとフレイザーの論争は、再分配と承認の関係はどうすれば正しく理解できるのかを焦点としている。そのさい、両者によって共有されている前提が二つ挙げられている。

第一に、「公正(Gerechtigkeit)」の適切な概念は、こんにち少なくとも二種類の政治的案件を把握しなければならない。すなわち、一つは「フォーディズム」の時代に分配闘争として捉えられていたものであり、もう一つはこんにち承認をめぐる闘争としてみなされているものである。

第二に、この二つのコンフリクト領域の間の関係を経済主義的なパースペクティヴによって規定するのは不適切とされる。経済主義的なパースペクティヴでは、承認をめぐる闘争は、分配闘争の副次的産物ないし単なる表面的現象とされている。こうした経済主義的パースペクティヴを、ホネットもフレイザーも否定する。

ただし、ホネットとフレイザーの共通点は上記の二つだけであり、次に、両者の立場の相違が端的に説明されている。

ホネットのばあいには、承認のカテゴリーを、再分配の問題もまたそこから考察することのできる、その意味で包括的な道徳概念として定式化しようと試みている。ここでは、「再分配の社会主義的理想」は、承認をめぐる闘争に従属するものと解釈される。

これに対し、フレイザーは、再分配が承認のカテゴリーに包摂されうるとは考えず、むしろ「パースペクティヴの二元論」を提案する。ここでは、承認と再分配は、相互に還元することのできない、公正の等根源的な二つの次元として把握される。

続いて、本書全体の構成が説明されている。

まず第一章で、ナンシー・フレイザーの立場が展開される。これは、1996年のタンナー・レクチャーを拡張したものである。上記のとおり、フレイザーは、承認と再分配は、互いに還元不可能な二つの次元をなすと考える。フレイザーによれば、この概念枠組みによってこそ、現在の社会における社会的不平等と地位ヒエラルヒーの組み合わせを分析することができる。不平等な分配は承認の欠如と交差し合っており、しかもそのさい、一方を他方に還元することはできない。

続く第二章では、アクセル・ホネットの立場が展開される。フレイザーによる「再分配と承認のパースペクティヴの二元論」とは異なり、ホネットは、「承認の規範的な一元論」を提案する。そのさい、ホネットは、承認を三つの形態(愛・法的尊重・社会的価値評価)に分けて捉える。そうすることで、再分配の問題もまた承認論の枠組みに位置づけ統合することができる。

第三章と第四章は、相互批判とそれへのレスポンスである。ここでは三つの異なる理論水準で論争が進められる。(1)道徳哲学の水準。ここで論じられるのは、二元論に対する一元論の相対的な優位、「善」に対する「正」の優先、など。(2)社会理論の水準。ここで論じられるのは、経済と文化の関係、資本主義社会の構造、など。(3)政治分析の水準。ここで検討されるのは、同一と差異の関係、経済的闘争とアイデンティティの政治の関係、社会民主主義と多文化主義の関係、など。

最後に、この論争によって両者の違いが先鋭化されるとともに、両者が共通に抱いている問題意識もまたはっきりしてきたとされ、それが2点言及されている。

まず第一に、道徳哲学と社会理論と政治分析という三つの水準を、資本主義の批判理論のなかで結びつけるという課題。アカデミックな分業のもとでは、道徳哲学は哲学者に、社会理論は社会学者に、政治分析は政治学者にそれぞれ任されるようになるが、ホネットとフレイザーは、資本主義社会をもう一度「トタリティト」として概念化しようという試みを共有する。したがって、両者は、なんらかのグランド・セオリーがもはや無根拠で時代遅れとは考えない。逆に、両者は、アクチュアルな諸闘争の的確な診断を可能にする、そうした現代社会の体系的な理解が社会批判には求められるとみなしている。

第二に、そうした現代社会の分析にとって必要となるカテゴリーは、資本主義社会の適切な概念を形成するものでなければらない。再分配と承認の関係に関する議論は、次の問いへと至っている。すなわち、現存の資本主義は、制度化された文化パターンによってはもはや直接にコントロールされない経済秩序が他の諸社会領域から解き放たれている、そうした一つの社会システムとして理解されるべきなのか、それとも、資本主義的な経済秩序は、承認の非対称形態に基づく文化的価値の定着の制度的成果として捉えられるべきなのか、である。この問いは、道徳哲学と社会理論と政治分析を結びつける試みにとって決定的に重要とされる。

▼上記の記事は以前のウェブサイトに2003年11月14日に掲載したものを再録したものです。

▼ホネットとフレイザーの論争については、拙稿「再分配をめぐる闘争と承認をめぐる闘争─フレイザー/ホネット論争の問題提起─」にて、その一部を検討しました。 「書庫」から論文のPDFファイルををダウンロードできます。